盆もそろそろ。。。〜じさま、ばさまの戦時体験。。。

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    盆は実家に戻ると必ずここと、



    ここに行きます。

    この2つの碑は、青森大空襲とつながりがあるところ。

    最初の画像は無縁様ですが、ここにはばさまの戦時体験と大きなかかわりをもつところです。

    2つめは、鎮魂の碑です。

    ばさまは、自分の子たちと、戦時を切り抜けたため、比較的そのころの戦時下のことや空襲のことを伝えてきました。

    それがこの2つの場所に行くひとつの理由となっています。

    無縁様には、ばさまのおいっこ、めいっこが入っています。

    しかし、ちょっと表現が違うかもしれません。

    おいっことめいっこは、青森大空襲の中、ばさまの目の前で行方不明になったからです。

    行方不明ですから、遺体は見つかっていません。

    だから無縁様へ行くんだと生前言っておりました。

    ばさまが死んで、24年。帰ると今も行きます。当たり前のように、それも義務としてではなくです。


    じさまは、亡くなる10年ほど前、私と月一回、一緒に青森市内を周りました。

    主な目的は床屋と好きな山野草の店に行くことです。

    その時間の中で、徴兵で満州へ行ったこと、太平洋戦争時の南洋航路での船員としての仕事のことを

    とつとつと話してくれました。

    じさまにとって、ほんとの戦時体験は、徴兵ではなく、南洋航路での船員時代でした。

    軍事徴用された貨物船の仕事がじさまの仕事だったのです。

    たくさんの僚船が、魚雷で沈んだそうです。

    次は自分たちだと思いながら甲板に立ってたそうです。

    じさまの死後、私からそれにまつわる話をしだすと、

    子供たちは誰もわからず。

    実は、じさまの戦時体験は、自分の子らにまったく話してなかったそうです。

    おそらく。

    じさまは、戦時中のほとんどを、家族と離れて暮らしています。

    それが引け目になったようでした。

    今思えば、戦争へ行くのは、何も兵隊だけではなく、民間人が大勢、軍事徴用されていたんだということです。

    それを今の日本人は忘れようとしてるんじゃないか。

    忘れさそうとしてるんじゃないかと時折感じるのです。

    直接に戦争を体験した人は、亡くなった方が増え、私のように直接聞き取ることができる人も少なくなっています。


    戦後69年。さまざまな思いが交錯する盆の終わりです。

     


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