20181120:自分がやってきた釣り
ども
おさーん47です
お題の話
自分がやってきた釣り
たまに振り返るようにしています
結局
無事に戻ってきて日常に戻る
それが自分のやってきた釣りなんだなと
若いときに何度か
海外で釣りの仕事しないかと誘われたことがある
ひとつは
シベリアタイメンの季節限定の仕事だった
半年
ハバロフスクに滞在しろという
唐突な話であったけど
保証人的な人もいるという話だったが
当時の自分には鮎釣りがあったので断った
まだ竜飛ジギング開拓前夜の話
もうひとつは
こちらは当時の本職だった農業技術普及と釣りのガイドという話
国はブラジル。。。
これももちろん断っている
200万の負担金という話だった記憶
こんな話が片田舎の青森であるのだから
信用しろというのも無理な話である
タイメンの話も
結局は話の元の人間がかなり怪しかったなあという思い出(つってもまともな職業人)
若いころはやはり
大物志向と競技志向だった
とにかくでかい魚
釣ってみたい魚
必然と
ジギング開拓の道へ行く
本当は
当時はかなり激減していたイシナギ(=オヨ)が最終目的だった
今じゃ5キロくらいまでなら結構数多くでているが
150キロクラスの海峡モンスターを狙いたかった
マグロが海峡の顔に戻る前の
海峡の大物は
イシナギだったのだ
網には300キロがかかっていたのだから
必然としてそこへ目が向くし
通っていた釣具屋の親父は
イシナギの名手であった
釣具屋の天井には
一面のイシナギの魚拓の群れが泳いでいたのだった
それが時を重ねていくうちに
仕事に失敗し
借金をつくり
社会的信用もなくなった後
少しずつではあるが
以前のような程度ではないが
釣りに向かう情熱がわいてくると
大物には目を向ける気はなくなった
しかし
競技志向には拍車がかかり
辞めるつもりだったワカサギ釣りにも
西本くんが仕事としてやることになったので
2年ぶりに現場復帰したら
腕は落ち
なかなかトップアベレージが出せない
以前よりも魚はいるのに
そうなると
本来の熱が沸いてくる
やはり自分には
釣りが必要なんだろうなという実感がわいてくる
しかしながら
若いもの相手にやってると
まだまだ小手先の技術だけで
ごまかしてるなあと思う自分の腕に
少々がっかりしてる自分もいる
やはりフルタイムでなんらかの釣りをしていないと
釣り勘は戻らない
技術、見識、応用、経験
いくらあっても
釣り勘が働かないと
数勝負ではぜんぜん回らないもの
日々修行
日々鍛錬
これが競技釣の世界なんだなと感じる
- 2018.11.20 Tuesday
- コラム
- 21:52
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- by たいっつあん